イタリア 知っておくと便利な情報
パスタの種類
レストランでパスタ注文時、この写メでパスタの種類を確認できる。
こちらも便利
スーパー 量り売り野菜や果物の、買い方
左上の番号を覚えておく
量りのパネルで48-94の緑を選択
58を選択
シールをレジで見せる
ホテルシャワー横に付いている紐
緊急コールのための紐。安易に引っ張ってはいけない
コインロッカー 最長9日間預けられる
ロッカーを借りる
標準か、大容量か
借りるロッカーの数
借りる期間
ローマ お洋服お直し屋
コインロッカー↑のとなりにある
バス、タクシー
切符はTABACCHIやニューススタンドで買う
地下鉄改札口横に券売機はある。
しかし、お釣りはコインだし、お札は5ユーロまでしか使えない。
切符は、使った時に日時を印字すること。
地下鉄口近辺やバスの中に黄色いスタンプボックスがあり、差し込むと印字される。
改札口を通る時に印字されるのパターンも。
ただし、まれにインク切れなどで印字がされない時がある。
そんな時は自分で日時を書き込む。
検査で印字されずに乗車したことがわかると、罰金を課せられるので注意。
意外と美味しいインスタントコーヒー
自称、コーヒーこだわり派。
イタリアのホテルなのに、インスタントコーヒーが置いてあるのをみて愕然!
しかし、飲んでみると意外と美味しかった!
水を沸かした後に見える白く浮いたもの
ホテルの湯沸かしポットで、ペットボトルの水を沸かすと、何やら白く浮くものが。
早速、ホテルのコンシェルジュに電話。
しかし、これはカルシウムで汚いものではないと言われた。
イタリアの水はみなこうなるとのことでした。
コインランドリーの使い方は、別記事で!
ATMで外貨引き出しはこちらの記事
2019年10月8日〜10日、2019年10月19日〜23日
アマルフィ
アマルフィへの移動の仕方
ローマからサレルノまで電車で行き、サレルノから船でアマルフィ
到着10分くらい前に、船着場で荷物運びが待っているとの電話
船を降りると、ホテルから頼まれた乗り合いポーターが迎えが来ていた。このお兄ちゃんがエレベーターのないホテルの部屋まで運んでくれる(お米も入っていたので30kg)
ホテル
素晴らしい眺めの部屋!
ホテルの朝食
港から2つ目のトンネル出口の上にホテルがある。
下の写真のトンネルが1つ目。
街に出るとき、いつもトンネルを歩く。
アマルフィを楽しむ
迷路のような小道の探索は、アマルフィ醍醐味の一つ
メインストリートは人混みで歩けない。
細い脇道を入り小道に入ってみた。洞窟のような小道は地元の人が使っている。
途中DE CAPE´E CIUCCIを見ながら、山の方へと登ってみた。
レモン畑
アマルフィの絶景
小道を登って見下ろした
海岸
初めての地中海
月と朝陽は本当に絶景
ラッキーな事に満月のタイミングでアマルフィに!
部屋から見惚れた満月の動き
朝陽を見るため、船着場から海を背にして右へ曲がり、ホテルルナ近くまで歩いた。
メインストリート右手のいくつかの小道を登り海岸、レモン畑、街並みを見下ろした。
アマルフィの大聖堂
地下は別格。アマルフィ商人の実力がうかがえる。
商人は天国へ行けない。そこを何とか寄付で。このねじれた感情がものすごい。
紙の博物館
アマルフィで製紙技術が発達し、ヨーロッパに広がった。
今でも古い文献が読めるのは、アマルフィのおかげとのこと。
美味しいレストラン
ほぼ毎日通った、老舗レストラン。坂の上の方。
Bar Della Valle
Piazza della Spirito Santo, 8/9, 84011 Amalfi
美味しいスイーツ
Andrea Pansa
Piazza Duomo, 40, 84011 Amalfi
こちらも老舗。レモンケーキが名物だけど、ビスコッティとレモンピールのチョコレートかけは絶品!
スーパーマーケット情報
メインストリートから小道を横に入ると、スーパーがあっちこっちにあった。
ドイチェバンクの右横を入る。生ハムは1枚でも切り売りしてくれる。もちろん美味。
紙皿もコップも洗剤もタワシも買える。
コインランドリー情報
メインストリートをずっと上がっていくと、右手にSelf Laundry
Self Laundryを通り過ぎ、紙博物館手前まで行くと、ホテルまでデリバリーしてくれるクリーニング屋さんもある。洗濯と脱水だけで、乾燥なしという注文も可能。
そして、船でサレルノへ。
船上から、壁色がピンクの泊まっていたホテルが見えた💕(左はじ)
2019年10月11日〜10月15日
パルマ カノッサの屈辱を仕掛けた女伯マチルダ&ヨーロッパの城は絶対見るべき
カノッサ城は敵が攻められない岩の山の頂上にある。灰色の斜面は岩肌。
また、同じように近くの山の上にあるキャッスルと火を使って連絡をとり、敵から身を守っていた。城の敵から身を護る術は後述する。
カノッサ城自体はほんの一部しか残っていないが、その補強をした時に史跡が掘り出されたことから、数年後には公開できるものが増える予定。
ローマ教皇グレゴリウス7世に会うのに、3日通ったハインリヒ4世は、到底皇帝が着ると思えない質素な服装に着替えさせられ、しかも裸足で平伏し許しを請いた。当時、裸足は貧しい人を意味し、皇帝にとって屈辱以外の何ものでもなかったであろう。
ヨーロッパでは"Go to Canossa "という、有名なことわざがあり、赦しを貰う時に使う。
カノッサ城からみた夕焼け
*地元ではカノッサの屈辱より有名なマチルダ女伯が住んでいた、ロザンナ城
カノッサは、もともと白い岩から名前が来ている。ロザンヌ城は多くの赤い岩を使っていたためロザンヌ城と呼ばれている。
カノッサ城もロザンヌ城も一億五千万年も前に起きた火山の噴火によってできた岩で建てられているため頑丈で、地震が起きてもビクともしない。だからこそマチルダは、小さくとも敵から攻められることがない場所に城を建てた、と言われている。
城の壁も壁と思えないほど分厚い。また、秘密の階段などもある。
ロザンヌ城から離れた所に塔がたっており、そこから敵を見張っていた
カノッサ城、ロザンヌ城、塔のあいだで火や煙によるサインが決められており、お互いに連絡を取り合っていた。
日本ではカノッサの屈辱を歴史の授業で習うが、地元ではカノッサの屈辱よりマチルダ女伯の方が有名。
彼女がカノッサの屈辱を仕掛けた本人だと言うこと以上に、あの時代に人々の心をつかんだ女性だからである
名前はマチルダ•ディ•カノッサと言い、トスカーナからロンバルディア一帯を所有する大貴族の娘で皇帝のいとこであった。また教皇からも娘のようにおもわれていた。
当時は読み書きご出来る人が少ない中で、イタリア語以外にドイツ語とフランス語も話せた才女である。また、村人を護り、十字軍の遠征にも参加した勇敢な女性であった。
女性であったにもかかわらず、バチカンにも彼女の絵がかざられている。
ロザンヌ城からみたカノッサ城
カノッサ城から見たロザンヌ城
*トレッキアラ城 敵から身を守る仕掛けが満載
カノッサの屈辱が起きた11世紀は、敵軍から身を護るために山の頂上に城を建てたが、16世紀になるとキャッスルは丘の上に建てるようになった。
*トッレキアラ城
入り口
高い方の出入り口が馬用で、低い方が人間用。分ける事で、敵の侵入リスクを減らしている。丸で囲った切り込みは、そこからドアの上げ下げをする仕掛けの跡である
高い城壁。石の色の違いは、度重なる修正の跡を示している。
窓の横の窪みも、矢を放つために使っていた
丸で囲ったところから、矢を打ったり、石をなげたりしていた。また、熱した油や熱湯をかけることも。その後、敵から身を護る必要がない時代になると、窓や窪みも煉瓦で埋めてた。
城壁の中の村人の家々。真ん中の回廊は、人が外に出ずに行き来するためのもの。
写真に写っていないが、一階は馬や牛などの家畜が飼われ、二階より上が人間の住居。中に階段はない。人間は、二階の窓から梯子を下ろして家に出入りしていた。また、一階に家畜がいると二階の室温を上げる効果があった。
城壁の中にもまた門がある
城から見える川。敵を見張っていた
生活の知恵も
石畳は雪が降っても滑りにくい効果がある。また緩やかに真ん中に向かってvの字になっており、水を集めて流れるようにしている。石の向きも縦にして、流れやすくしている
大事な水は城壁の中の井戸で貯めた
光りは数少ない窓とロウソクで取っていた。そのため、窓に面した場所に部屋から部屋への出入り口を作り、なるべく光が通るようにした。
台所
流しに傾斜がついている
**パルマ城
敵の侵入の恐れが無くなる時代になると、パルマ城のように平地に城が建てられるように。
パルマ城で残っているのは主に城壁。All roads lead to Rome と言われている道の一つが、城の中を横切っている。また、城壁の中には見ておきたいものがいくつかある。
大聖堂
地下礼拝堂
サンタ•マリア•デッラスカッタータ教会
*絶対食べるべきはパルメジャーノチーズとプロシュート
パルメジャーノチーズは粉にしてふりかけたりせず、そのままブロックで食べるのがパルマ流。牧草でそだった牛の乳を使い、添加物など一切なく安全な食べ物。子供が病気になった時に食べさせている。
プロシュート
海からの南風を使って作ることで、自然な塩味がつく。細長い窓から風を入れている建物が、少し郊外に行くとたくさん見かけることができる
揚げたパンのトルタフリッタに挟んで食べるのが地元流
このアルバゾンネも郷土料理
中にほうれん草などがはいっていて、塩味も効いて美味しい
パルマ駅から車での移動。ヨーロッパの奥深さを感じる事ができる。
2019年10月27日〜10月29日
フィレンツェ メディチ家の息づかいが今でも聞こえる芸術の都
フィレンツェ、外してはいけない見どころ2選
1. ウフィツィ美術館
ネットで予約したため、すぐにチケットは買えた。
絶対みるべきはボッティチェリの"ヴィーナスの誕生"と"春"。
春
"ヴィーナスの誕生"のヴィーナスと"春"の中心の女性は同一人物
そして、"ヴィーナスの誕生"の左にいる男女と"春"の右いる男女も同一人物
"春"の右にいる男は西風の神ゼフュロス。
結婚をあらわすオレンジの木の間から腕を伸ばし、花の神に変えようと妖精を抱いている。
そして、妖精の口から花が出始めている。
隣は妻となった花の神で、妊娠で体型が変わり、花を撒いている。
天使エロスは目隠しをして恋の矢を打とうとしている。
矢が向いている先は、手を取り合って輪になり踊っている三人の女性。
矢はどの女性に当たるのかわからないのかも。
天使は心の目で矢を放っていろのだろうか。
三人女性の隣の男性は横を向いている。
恋の矢が刺さった後の展開を見てみたいものだ。
男性の足元が羽のようになっているのも面白い。
興味深いのは、真ん中のヴィーナス。
首がかなり傾き、よくみると右目と左目の位置も相当違う。
ところが、"ヴィーナスの誕生"のヴィーナスは均整が取れており、とても豊かな顔である。
西風の神ゼフュロスも"春"では青く、風も吹いていないが、
"ヴィーナスの誕生"では肌色に変わり、風を吹いている。
ホタテの貝殻に乗ったヴィーナスが、ゼフュロスの西風に吹かれキプロスに着いた。
そのヴィーナスを、時の神フォーラが花のマントで出迎えている。
花の神フローラの花が、西風にのるようにヴィーナスに向かっている様も美しい。
このように解釈していくと、この二つの絵は綿密に考えられていたと思いたくなる。
"ヴィーナスの誕生"の絵画の横には、
目が不自由な方のために大理石でできた"ヴィーナスの誕生"が置いてある。
ウフィツィ美術館は"ヴィーナスの誕生"の方をより重要視しているのだろう。
当時、キリスト以外の神を描くことはタブーだったのだが、
パトロンメディチ家のサポートで、キリスト以外を描けたというのも見どころ。
まさしくルネッサンスである。
ウフィツィ美術館には他にも素晴らしい作品が展示されている。
ボッティチェリの師匠リッピの作品。
マリア様を当時流行っていた真珠のアクセサリーや髪型で描いている。
そうした通念を取り払った斬新さが喜ばれた。
これも、ルネッサンスだ。
ボッティチェリの受胎告知
レオナルドダビィンチの受胎告知
遠近法の線は山に向かっており、実はこの作品の主役は”山”なのだそうだ。
美しい天井や床
天使の羽の色
あまりにも良くて、二回ウフィツィ美術館に行った。
二度目は予約せず、朝一番でBOX2の窓口にいった。
8時前、3番目にチケットを買えた
2. ベッキオ橋から見る朝日
朝の散歩途中、偶然にも橋の上で美しい日の出に出会う。
ベッキオ橋のちょうど真ん中辺りにアルノ川を見渡せる場所がある。
誰もおらず、穴場。
反対側も、水面に空と建物がきれいに写しだされている
ヴァザーリ回廊を求めて
ウフィツィ美術館から、ベッキオ橋の上の階を通りピッティ宮殿にまで続く、
見てみたくてウフィツィ美術館の人に聞いてみたら、
たまたま目の前の扉から始まっていると教えてくれた
扉の隙間から。
すぐ階段があって下に行けるようだ。
あまりに熱心だったからか、職員の方が窓に連れて行ってくれた。
ベッキオ橋へと続く回廊を教えてくれた。
外に出て回廊を追ってみた。ベッキオ橋の反対側へ
おそらく、回廊はここに続いている
ピッティ宮殿正面に向かって左端
いつか回廊を歩いてみたい。
メディチ家礼拝堂
メディチ家が眠る、墓のある礼拝堂
お墓はミケランジェロ作。
床にある墓を初めて見た。
中央に、メディチ家の人々の骨が入った調度品が多数ある
メディチ家最後の血脈のアンナの像も。
彼女は、遺書に、コレクションをフィレンツェにとどめ一般公開することをしたため、
トスカーナ政府に寄付をした。
メディチ家由来の物の多くがフィレンツェに残ったのは彼女のおかげである。
隣の部屋にはミケランジェロ作の彫刻が
君主の礼拝堂
君主と言われるだけあって、大理石の壁と床で作られた、未完成だが荘厳な礼拝堂。
貴石を使った壁の装飾が美しい
メディチ家礼拝堂と隣り合わせにあるサンロレンツォ教会
のっぺりとした壁は未完成だから。
教会内に2つのモデル候補があった。
教会内の全貌
リッピの受胎告知。
奥行きがある描き方、庶民的な天使などルネッサンスを感じさせる。
美しい天井
メディチ•リッカルデイ宮殿
メディチ家が一時期住んでいた。
当時、裕福な貴族が妬みを買い、政界から追放されていたため、外側は地味にしたとのこと。
中のメディチ家用の小さな礼拝堂
華やかなシャンデリア
メディチ家の家紋。
時代で変化したというより、分家ごとなのかも
コンファレンスルーム。
現在つかわれているのだろうか。
ベッキオ宮殿
予約しなかったが、並ばずにチケットを買えた。
窓口ではヴァサリオ回廊にも行けると言われたが、実際には二年後からスタート。
五百人広間
イルカを抱く天使
メディチ家の家紋
地図の部屋
日本と中国の地図
メディチ家専用の礼拝堂
ピッティ宮殿
予約しなくても、すぐにチケットは買えた。
メディチ家はベッキオ宮殿からピッティ宮殿に移り住む
ベッキオ宮殿はもともとは政庁舎。
ピッティ宮殿はライバルだったピッティ家が建て始めた宮殿で、後にメディチ家が仕上げた。
ベッキオ宮殿と比べるとピッティ宮殿は煌びやかでゴージャス。
病弱な妻のため、と言われているが、引越したくなるのもわかる。
ボーボリ庭園
ナポレオンが使ったバスルーム
パラティーナ美術館
ラファエロの作品
"大公の聖母"
"ラファエロ自画像"
"小椅子の聖母"
"ヴァールの女" 。ラファエロの恋人
大聖堂
次回も絶対泊まりたいホテル
Piccolo Apartment Residence Hotel
Via Ricasoli, 23, 50122 Firenze FI,
Ricasoli通りのホテルカリフォルニア、ミケランジェロ駐車場のななめ向かい。
17世紀の建物を改装。
玄関、出窓、高い天井、地下にはその面影が。
日本人が経営しているホテルだけあって、隅々まで掃除が行き届いている。
台所もある。
簡単な調理器具、お皿やコップがある。
シンクはきれいに磨かれている。
地下には洗濯機と乾燥機がある。
WiFiもしっかりつながる。
長いバスタブで体を伸ばしてつかれる。
水圧も強い。
VPNもつながり、アマゾンプライムもダウンロードもでき快適!
超おすすめスイーツ
Gelateria Ice Cream
Ricasoli通り沿いで、すぐ近くにあるジェラート屋さん。
ここも穴場!
ここでもピスタチオと食べてみた。
ローマより美味しい!
連チャンで通うことに。
ローマのスイーツについての別記事に書いたが、
確かにお店はアイスクリーム屋となったいた。
https://europetravelnote.hatenablog.com/entry/2019/10/22/021835
やはり、日本で言うジェラートはアイスクリームのことで、
イタリアのジェラートの意味は、"FROZEN"と言う意味だったんだ。
美味しいベーカリー
GINOS BAKERY
ピッティ宮殿近く。
奥さんに内緒で、ご主人がスイーツをおまけしてくれた。
フィレンツェ中央市場
一階が市場で、二階が大きなフードコート。
お皿にお惣菜がのった状態でディスプレイされている。
ハムやチーズに不安な人には選びやすい。
日本食も
携帯電話の充電場所
料理教室もある
IL SUSHIの海鮮丼とカレーライス
一階市場で仔牛肉のT-boneを買い、オリーブオイルと塩でシンプルに焼く。
美味しい!
市場の向かいにダミケーレ•ピザ
美味しいマロングラッセとティラミス
Cafe Scudieri
優しいアクセサリー屋さん
壊れたペンダントベッドをただで直してくれた
2019年10月23日〜27日
ナポリ 超美味ナポリピザ
ナポリ駅からホテルまで
タリフ料金でタクシーに乗車。
タクシーは、ドアにこのマークがある車に乗ろう
ギャラリア•ウンベルト•ウノで下車。
ギャラリアのマクドナルドを左手に見ながら歩き、ギャラリア目の前にあるベネトンの上がホテル
Caruso Place
ホテル Caruso Place
ホテルの朝ごはん
ギャラリア横にドイチェバンクを発見
ギャラリアからカポディモンテ美術館
ギャラリアのタクシー乗り場向かいに、シャトルバス停留所がある(ギャラリアのマクドナルド裏側辺り)
バス運転手から、カポディモンテ美術館入場券と往復のバスチケットを18ユーロで購入。
ギャラリア
ギャラリア、タクシー乗場の斜め前のバス停
バスは1時間に1本だが、美術館の入場券は12ユーロだから、バスとセットで買うとお得。
美術館は山の上にあり、そこから見るナポリは絶景(写真ではなかなか雰囲気が伝わらない)
”ナポリを見てから死ね”という言葉があるが、ここからの景色の事だった。
街に戻るバスは、毎時40分発。
市バスや地下鉄でスリに合う心配が減るし、車窓からの眺めも楽しめる。
途中下車は、本当は出来ないルールだが、運転手さんに頼んでみたら、乗り降りさせてくれた
国立考古学博物館
二階はガラス食器など
美しいザル。現在でもこんなに凝ったものはないのでは!
ポンペイのミニチュア模型
保存のため、ポンペイから移動させた壁画。
本物のポンペイを見た後だったので、博物館に来なくてもよかったかも、
と思ったが、博物館に展示されているものの方が、繊細で保存状態も良かった。
中二階はモザイク画
ナポリ ダミケーレピザ
L'Antica Pizzeria da Michele
Via Cesare Sersale, 1, 80139 Napoli NA,
絶品!
生地はもちもちで、トマトソースがなんとも美味しい!
遠くても行く価値あり!!
窯で焼いており、イートインもテイクアウトも列をなしている。
メニューはマリゲリータとマニアラの2種類のみ。
たったの5ユーロ!
イートインは長蛇の列だったので、テイクアウトを。
熱々にかぎるから、道端で食べた!
ウンベルト•ウノ通りのここ↓を、ナポリ駅を背にして左に曲る。
角は子供服店。
ユニクレジット銀行まで来てしまったら行き過ぎ。
ダミケーレは、東京、福岡、大阪にも出店してるとのこと。
帰国したら行ってみようかな。
ポンペイ
ナポリからポンペイへ移動
地下鉄の切符の買い方
改札口近くの券売機で買うと、お札は5ユーロまでしか使えず、お釣りはコインで出て来る。
コインまたは5ユーロ札がない時は、地上のTabacchiなどで地下鉄切符を買っておくべし。
Napoli P. Garibaldi 駅からPompei Scavi Villa Dri Misteri駅までは、ローカル線で40分。
電車は20-30分に一本でている。
3番ホームにおり、電光掲示板で電車を確認。
雑然としたホームだが、床はなんと大理石。さすがイタリア!
Pompei Scavi Villa Dri Misteri駅はポンペイ入り口と隣接。
入場券を買い、informationで地図をもらう
http://pompeiisites.org/wp-content/uploads/Pompeii_JA.pdf
このリンクから日本語の解説と地図を入手。
ただし、あまりにも広いので、事前に見たいところを決めて計画的に回ることをすすめる。
そして、最後は駅に隣接した出入口に戻ってくるよう、賢く回るべし。
他の駅に近い出口もあるが、
出口によっては、この駅まで歩こうとするとかなり遠い!
ポンペイの見どころ
個人的なおすすめは、Region 6-22の秘儀荘。
壁画は繊細で美しく、小さなタイルを散りばめて描かれた床も美しい。
石畳みには荷車の車輪が深く刻み込まれており、この遺跡の重ささえも感じさせる。
台所のストーブには釜用の穴。
そして周りに調理器具をかけているなど、当時も今も変わらない。
ガラス食器も使っていたんだ!
ローマの見どころ
暑い。日差しが強く、コロッセオの日陰は取り合い。冷たいミネラルウォーター必須。
ローマの歴史を下調べしておくと、楽しみは倍増する。
ちなみに、アマゾンプライムのドラマ"ROME"も、ローマの概要を知るのに役に立った。
フォロ•ロマーノ、コロッセウム
コロッセオ
ネロ皇帝邸の後に建てられた
当時の座席順
地下は、その後、農家が区切りを利用してニワトリを飼った時期や、植物園にしていた時期もあった
凱旋門
フォロ•ロマーノとコロッセウムの間にある
後にナポレオンがこれを真似てパリの凱旋門を作ったとか
世界最小国バチカン市国 システィナ礼拝堂
バチカンへの行き方
地下鉄OTTAVIANOで下車し、バチカン市国の中にあるシステナ礼拝堂へ。
事前にネットで予約しておくと並ばずに入場券を買える。
ツアーの列、予約の列、それ以外の列と別れているので、予約しておかないと長蛇の列を並ぶ事になる。予約した方が良い。
ネットで予約した時、時間を指定した。でも、どうやら時間はあまり関係なく入れるようだ。
ものすごい数の展示があるので、事前に見たいものをある程度調べておかないと大変。
一番のおすすめは最後にある"最後の審判"(撮影禁止)
個人的には"アテネの学堂"に感動。
中央の二人はプラトンとアリストテレス。プラトンは天を指している。
ソクラテスは左の深緑の服装の人書かれている。この人だろうか?
数学者ピタゴラス
数学者ユークリットが幾何学における任意の定理を説明している。
別の部屋ではロダンの"考える人"も。
パンテオン
パンテオンはジュリアスシーザーの甥で後継者でもあった、初代ローマ皇帝アウグストゥスとその右腕のアグリッパが建てた。
その後焼失するもハドリアヌス帝が再建。
当初はローマ建築作りで立てられたが、その後キリスト教が内側を装飾。
そのため、外側と内側で雰囲気がまるで違う。
ローマ建築そのもので残っていて欲しかった。
外側は地味であるが、見る価値がある。
バルベリーニ宮殿国立絵画館
バルベリーニ宮殿はバロック式の宮殿で、現在は国立絵画館。
行った時は、ミケランジェロの習作と、後の画家がその習作を参考に色をつけて描いた絵画を横並びに置く展示会が行われていた。
二つを比較してみると、ミケランジェロの習作は人間の顔や筋肉などに躍動感があり、改めてミケランジェロの凄さがわかった。
常設展は一部クローズとなっていたが、コルターナの天井画は見ることができた。
中央には、バルベリーニ家の紋章である蜂三匹が描かれている。
バルベリーニ家は17世紀にローマで栄えた貴族。
もともとはフィレンツェで穀物や生地などを扱う商人であったが、メディチ家と対立し、ローマに渡った一族が財を成し、1623年にはローマ教皇を出すまでになった。
バルベリーニ家の家紋に三匹の蜂があり、
天井画にも描かれているが、バルベリーニ広場にある蜂の泉も有名である。
バロック式建築で有名なベリニーニが作った噴水。
ちなみに、聖書に豊かさの象徴として蜜が登場しているから、蜂に特別な思いがある。
バルベリーニ宮殿のドアのとっても歴史を感じさせるものだった。
絵画館の展示でみた絵が、昔のローマの街並みで現在もその面影を残している
現在の大統領官邸
スペイン階段
大理石に腰をかけていると、警官に注意される。
正面上の均整がとれているロマネスク建築のトリニタディモンティ教会と、
ロマネスク建築に飽きて台頭したバロック建築の装飾に力を入れた噴水が
同時に見られるのが見どころ。
アドリアーノ神殿
ハドリアヌス帝を崇めて建てられた神殿は、今ではローマ証券取引所の壁と一体化していた。
"ローマの休日"で有名になった真実の口
トレビの泉
狭いせいか、午後は嫌になるほどの人混み。早い時間に行くことをすすめる。
朝一、噴水にたまったコインを掃除機のようなもので吸い取っていた。
2019年10月8日〜10日、2019年19日〜23日